2024年の振り返り(前半の半年)

雑記

月日はあっという間に流れると言いますが、その通りに2024年があっという間に終わってしまいました。

私にとって2024年は激動の1年でしたので、しっかり書き留めておかないと忘れてしまいそうなので、前半と後半に分けて書き記しておこうと思います。

2023年10月〜12月

私が転勤のため埼玉県から熊本県に引っ越したのが2023年10月でしたので、そこから振り返ろうと思います。というか、この激動の2024年のスタートのきっかけがこの10月にあるからです。

忘れもしない2023年10月25日、それは妻の誕生日でもあり、私が初めて転勤先の支社に出社した日ですが、早速事件が起きました。

父親が3ヶ所骨折し入院

趣味でやっている農作業の途中で脚立から落ちて、「左肘」「左手首」「左踵」の3ヶ所を骨折して入院しました。

ここから今も続く、2週間に1回、週末は熊本⇄宮崎の2拠点生活での両親への生活支援が始まりました。

まさかの母親も入院

父親の入院でバタバタしている11月上旬、今度は母親が腰椎圧迫骨折で入院しました。

2人とも入院なんで想像すらしていませんでした。

実家の様子を見に帰りつつ、お見舞いのために病院を梯子するという週末。そして2人を励まして夕方には熊本に向かう生活は非日常的でそれほど苦でもなかったのですが、流石に回数を重ねると新鮮味も無くなってきました。

父親は退院、母親は入院継続

父親はリハビリを終えてようやく退院することができましたが、母親はそのまま入院継続。

逆ならよかったのですが、新たな問題が発生しました。

それは食事です。

もともと透析導入ギリギリの慢性腎不全だった父親は、タンパク質制限、塩分制限などの制限があり、腎臓内科にも入院歴があり2週間に1度外来を受診して数値管理をしてもらっていて、悪くなると入院して治療をする生活でした。

腎臓病食を購入していましたが、あまり手をつけようとしないので奥さんが減塩料理を作ってくれて届けてました。それはやっぱり1人だと誰とも全く喋らないので、食卓で楽しく会話をして食事を楽しんでもらうために帰っていました。

2024年1月〜3月

この期間は落ち着いていて、父親の生活支援をしながら母親のお見舞いに帰るという週末が定番となりました。

そうなると私の中にある欲求が湧いてきました。

長距離移動のために、新しく車が欲しい

2023年10月に始まった週末の2拠点生活ですが、その頃から熊本⇄宮崎の移動は奥さんの軽自動車「N-Box」でした。高速道路を含めて片道約200kmの移動を軽自動車でしていたので、安全面からも身体的負担からも、ちゃんとした車が欲しいという気持ちがドンドンと大きくなり、ついに1月にディーラーに行き、車を探し始めました。

認定中古車から欲しい車を探すことになり、条件に合う車が見つかるまでに2ヶ月ほどかかりましたが、ついに見つかりました!

ついに憧れの、あの車を手に入れました!

大学3回生の息子が卒業したら買おうと思っていたのですが、1年前倒しして買っちゃえ!と、ついに購入意思を表明して契約に進むことになりました。その連絡をしたのもちょうど宮崎への移動の途中でした。

買った車は「Mercedes Benz Class 220d」

熊本⇄宮崎の移動を想像しながらニヤニヤしていたら、水面下で自分にとって大変な事態が静かに誰にも気付かれずに進んでいました。

大きなポリープ

実は2023年12月の健康診断で「便潜血」を指摘されていましたが、何かの間違いだろうとしばらく放置していましたが、何かの拍子に「念のために精密検査を受けてみようかな?」という気持ちになりクリニックを受診したところ、直腸に2cmを超える大きなポリープがあることが判明。

Mercedesを買った喜びと巨大ポリープの恐怖に気持ちが揺れ動く日々でした。

1月〜3月の帰省回数

1月(19〜21・26〜28)・2月(11〜12・16〜18)・3月(1〜3・16〜17)

パッと書くと大したことがないように見えますが、我ながらよく頑張ったと思います。

2024年4月〜6月

この時期になると両親の生活支援に加えて、自分の体の事が加わりさらに大変な事態になってきました。私は今まで大きな病気にかかったこともなく、入院など縁がないものと思っていました。

しかし、現実は残酷なものでした。

内視鏡的ポリープ切除術

4月上旬に、1泊2日の入院で大腸ポリープ切除術を受けました。

手術は成功したと主治医の言葉にホッとしたのも束の間、切除組織の病理検査で確定した診断名は「直腸がん」でした。

その後は外科に転科し、外科的に病変部を取り除く手術を受けることになりました。

ロボット支援下直腸切除術(Da Vince)

直腸がんと宣告されて約1ヶ月後の5月23日、今度は外科的に直腸を切除して摘出するという大掛かりな手術を受けることになりました。

手術は実際に10時間を超える大変なもので、入院期間は20日でした。

この直腸がんになったこと、そして大きな手術を受けたということは、両親を心配させたくないので今も話していません。

一時的なオストメイトになりました

直腸がんになった私ですが、私が比較的若いこともあり肛門機能を生かすような手術をしてくださいました。今回受けた手術の内容は病変である直腸の一部を切り取って、正常部分につなぎ戻すというもの。

繋いだ部分が安定するまで、腸を休ませるために人工肛門を作ることについて説明を受けていましたので、自分の右腹部にできた人工肛門を見たときには物珍しさの方が勝りました。

人工肛門を作ったときに、3ヶ月ほど人工肛門での生活をして直腸を十分に休めた後、今度は人工肛門を閉じて肛門からの正常排便に戻すという治療方針を主治医の先生が十分説明してくださっていました。

こうして3ヶ月間のオストメイトとしての生活が始まりました。

右腹部に排泄用の袋をぶら下げて、仕事もしましたし、草刈りや畑を耕したりといった父親の手伝いもしました。

医療の発展とオストメイトトイレなどの社会基盤の整備の進み具合を実感した入院経験でした。

4月から6月までの帰省回数

4月(13〜14)・5月(3〜7・18〜19)・6月(なし)

流石に直腸切除術の入院が6月8日までかかったので、6月は帰省はできませんでした。

この頃には母親も退院して、老人2人でお互いを支え合う生活が戻ってきたので安心できたのもよかったです。

終わりに

埼玉から地元の隣県である熊本に引っ越してきた瞬間から、まるで決まっていたかのように両親の生活支援が始まりました。

老いていく自分を認めつつ、できていたことが出来なくなっていく親をどう支えていくか・・・

まだまだ答えが見つかりません。

続きは、後半へ。

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