世の中には物が溢れかえっています。
企業は手を替え品を替え、消費者である私たちの購買意欲を高めようと、いろんな仕掛けを作ってきます。
その結果、あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと欲しい・・・
その欲求は終わりを知りません。
この欲求は、目に見えるものだけではありません。例えば、愛情、友情、社会的立場、などめに見えないものにも当てはまります。
このような欲求にいつも振り回されていては、心穏やかに、安らかに過ごすことはできません。
それでは、どうすれば良いのか?
ここに禅語が登場します。
お釈迦様の答えは、これ
この様な、いわゆる「執着」を捨てるためにお釈迦様が言われた言葉。
それは「知足(ちそく)」
足りるを知る、ということ。
お経の中で、お釈迦様は次のようにおっしゃっています。
知足の人は、地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すといえども、また意にかなわず。
不知足の者は、富めりといえども、しかし貧し。知足の人は、貧しといえども、しかも富めり
持たないという幸せ 枡野俊明
足を知る人は、地上に寝る様な生活でも心穏やかであるが、足を知らない人は、どんなに贅を尽くしても心は穏やかになれない。
足を知らない人は、どんなに繁栄しても心は貧しい。足を知る人は貧しくとも、心は豊かである。
といった意味でしょうか。
知足=小さな幸せを知る
小さな幸せというフレーズがありますが、それを見つけることが知足かも知れません。本当は幸せなことなのに、もっともっとの心で見えなくなっている幸せな状態。
もっとモットの原動力は、見栄やプライドなのかも知れません。
その見栄やプライドを一つ一つ脱ぎ捨てることで、小さな幸せが見つかるのではないでしょうか?
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