前回までに健全なコンプレックスと、不健全なコンプレックスについてお伝えしました。
健全な劣等感とは、理想とする自分と現状とのギャップにおける劣等感のことでした。
しかし実際に使われる一般的な劣等感とは、他者との比較において劣っているという感覚で使われており、あまり健全な状態とは言えません。
先ほども述べましたが、この劣っていると感じる劣等コンプレックは、他者とに比較において劣っているという状態(ある基準よりも下)です。
この劣等コンプレックスと対極にあるのが、優越コンプレックスと言われるものです。
優越コンプレックスとは、どんな状態なのでしょう
あなたの周りに、いつもいつも自慢話をする人はいませんか?
「私は過去にこんなにすごいことをしたんだ!」
とか、
「私はこんな有名人と知り合いなんだ!」
とか言う人です。
この様なことをわざわざ本人が口にするのを聞くと、ちょっと違和感がないですか?
やはりアドラーははっきりと指摘をしていました。
「もしも自慢をする人がいるとすれば、それは劣等感をもっているからにすぎない」と。
あなたの周りには自慢話とは反対に、いつも不幸であることをアピールする人はいませんか?
「私はこんなに不幸なの」
とか、
「あなたには私の苦しみなんてわからない!」
などという人です。
この様な人は、不幸であることで特別な存在であろうとし、その点で優れていることをアピールしているだけです。
他者よりも弱い立場であること、つまり弱さを誇示して周りを支配しようとしています。
アドラーも次の様に指摘をしています。
「我々の文化において、弱さは非常に強くて権力がある」と。
赤ちゃんを例に、弱いからこそ泣き叫び、大人を支配して面倒を見てもらっているという「弱さは強く支配的」という事実を説明しています。
優越コンプレックスをまとめると、次の様になります。
自慢話ばかりをする人は、背伸びをして実際よりも優れているように見せているだけです。
不幸話ばかりをする人は、不幸というポイントであなたよりも優れていることをアピールしているだけです。
つまり、「他者の価値を貶めることで、相対的に自分を上におこうとする」こと、この事をアドラーは優越コンプレックスと呼びました。
冒頭で述べたように、この優越コンプレックスや劣等コンプレックスは、「他者との比較」において他者よりも優れている(他者を貶めて自分の相対的に自分を上におく)と思ったり、他者よりも劣っている(自分を下におく)と思う状態です。
この様な状態では、心が休まる時もなく、やがてやる気そのものが消失してしまう危険な状態になるでしょう。
そうならないためにどうすればいいのか?
これについては次のブログでシェアします。
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