上島竜兵さんの自殺に思うこと

雑記

5月11日の朝、突然「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんの訃報が飛び込んできました。

ご自宅で倒れているところを発見され、病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。

報道では自殺ということでした。

上島竜兵さんの人柄から、その死を悼む人は多く、また突然の死に言葉を失う人も多く、改めて自殺の引き起こす悲劇に胸が痛くなります。

上島竜兵さんが何を思い詰めていたのかを他の人は知る術もありませんが、八方塞がりでもがき苦しむような非常に辛い状況だったのでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。

自殺という行為に至るその方の状況は、他人の私たちには想像もつかなほど過酷なものだと思いますが、一人でも多くの人が自殺という悲しい結末を迎えないような社会になることを心から望みます。

霊的な観点から人間界とは

ここから先は霊的な話になりますので、ご興味のない方には理解が難しいかもしれません。

私には霊的な力はありませんが、先日読んだ本があまりにも衝撃的だったにも関わらず、なんの抵抗もなく書かれている事が腑に落ちたので、ご紹介します。

その本は

徳間書店

「きたよしお」さんは、霊界と人間界を行き来する事ができ、霊界のメッセージを著書を通して伝えてらっしゃいます。

そもそも私たちの本当の姿は霊体であり、人間界においては「霊体が人間の着ぐるみを着ている」ような状態だそうです。

霊体はその霊格を磨くためにさまざまな修行をさまざまな環境(星)で行います。

その星の数は8つあり、地球の人間界がいちばん厳しく、過酷な環境なのだそうです。

なぜ人間界が一番過酷な修行の環境なのでしょうか。

それは、人間界が「欲」にまみれているから。

霊格を高めるために最も大切なことは、他人に愛を与える

「利他愛」

なのですが、人間界は欲にまみれているので修行の途中で利他愛を忘れ、自分の欲を満たすためだけに夢中になり、修行を始めた頃の志を忘れてしまう霊も数多いと言います。

霊格を高めるために志高く、人間という着ぐるみを着て人間界で修行する前に、どのような修行をするか、どのくらい修行するかを決めるそうです。

どのような修行をするかは、どのような着ぐるみを着るのかを決めること。

つまりは人間界での環境を決めることで、例えば障害を持たれた方になるということは、あえて困難な状況を選ぶということなので、より厳しい修行になります。

どのくらい修行するかは、言い換えればおおよその寿命を決めるということです。

霊的な観点から見た自殺とは

人間界で修行するにあたって決めた期間=寿命ですが、多くの霊は修行期間を終えて霊界に戻っていきます。

霊界に戻った霊は精霊界という世界で、人間界での修行を振り返り、自分の霊格に世界に戻っていきます。

ところが霊的な観点から見ると、自殺は自らが決めた修行期間の途中で修行を放り投げてしまうことになります。

実はこの修行期間の途中での修行放棄には、大変重いペナルティーが課されるそうです。

精霊界に戻ってから、なぜそのようなこのような事態になったのか、数百年といった単位で反省を求められ、なかなか自分の霊格の世界に戻る事ができなそうです。

また、死んだらあの世で一緒になれると心中する人がいますが、絶対に一緒になれないと言います。

それは2人とも修行を途中放棄したもの同士なので、2人にはそれぞれ長きにわたる反省と苦痛が与えられるのです。

人間界での修行は霊体にとっても非常に過酷な修行のようです。

だから自殺しちゃいけない!と、説得することはできませんが、自殺は周りの人はもちろん、本人、そして中に入っている霊体にとっても非常に悲しい結果しかもたらさないようです。

自ら命を絶つほどの悩みを抱えた方にとって、何がベストな助けになるかはわかりません。

私がそのような状況になった時、この本の内容が助けになるかどうかは分かりませんが、生きる意味を考えるという点において、一つの道標となるかも知れません。

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