アドラーは
「人間の悩みは、全て対人関係の悩みである」
と言いました。
そして、対人関係の問題を抱える人の多くは、他者を敵と見なし、自分が傷つくことを未然に防ぐために、他者と関わりを持つこと自体を拒否する傾向があると言っています。
なぜ、他者を敵と見てしまうのでしょうか
他者を敵として見なす人に共通する考えは、
- 自分が世界の中心にいる
- 自分が世界の中心にいたい
- 自分が世界の中心にいなくてはならない
と言った考えです。
この様な考えに至るには、子供の頃から甘やかされて育ったという経験を持っていることが考えられます。
子供の頃にすべてのものを与えられ、与えら得るのが当然になり、他者が自分に何を与えてくれるかにしか興味を示さないような大人になってしまうのです。
その様な大人は、他人に依存する様になり、
「いつも注目されたい子供」
と変わりなく、注目されないと不機嫌になったり、攻撃的な態度を取ったりします。
いつも注目されたい子供の実態
子供は親の注目を得るために、いろんなことをします。
悪戯をしたり、問題を起こしたり、ありとあらゆる手を使って、親の注意を引こうとします。
アドラーも次の様に言っています。
「症状の目的が同じなら、たとえ一つの症状がなくなったとしても、人は一瞬の躊躇もなしに新しい症状を身につける」
つまり、AがだめならB、それがダメならCと言ったように、手を替え品を替えて注目してもらおうとします。
なぜ注目して欲しいのでしょうか
手を替え品を替え手間で注目して欲しい理由はなんでしょうか。
それには、認めてほしいという「承認欲求」が関係しています。
子供が親に向かって
「見てみて、ママ〜」
と、必死に呼びかけて注目を得て、何かをする時に、それを見たママが
「すごいねぇ〜、上手だねぇ〜」
などと褒めている風景を目にすることがあると思います。
親としては子供の成長が嬉しくて無意識に褒めていますが、度を過ぎて甘やかせてしまうと、承認欲求が強い子供になってしまいます。承認欲求が強くなると、他者から称賛されたり、好評価をしてもらえないと
- なぜ認めてくれないんだ!
- 認めてくれないなら、もうやらない!
など、逆ギレの状態になりやすいのです。
賞罰教育の功罪
賞罰教育とは、いい事をやったら褒められ、悪い事をしたら叱られるという教育の仕方です。
一見当たり前に思えるこの教育方法ですが、アドラーは強い口調で否定しています。
それは賞罰教育の先に生まれるのは、
- 褒めてくれる人がいなければ、適切な行動を取らない
- 罰する人がいなければ、不適切な行動も取る
他人の顔色をうかがいながら、褒められそうならやるし、叱れれそうになったら嫌なことでもやる、罰する人がいなければ罪を犯してもいいという間違った考え方です。
ですから、アドラーは明確に賞罰教育を否定しているのです。
褒めてもいけない、叱ってもいけない。
これがアドラーの主張です。
賞罰教育が過度の承認欲求を引き起こし、その結果として、自分が世界の中心にいなくては気が済まない大人を生み出し、中心にいるために他者と関わる事を拒否し、周りを敵として見なすという事です。
その結果、対人関係に悩んでしまうということになります。
承認されなくてもいいじゃない
承認欲求は、これだけやったので認めてほしいという欲求です。
つまり、ギブ&テイクです。
ギブに対して、期待値以上のテイクがないのは、面白くありません。
そこで、ギブ&テイクという考え方を改めてみませんか?
相手に対して自分が貢献できていると感じ、その行動の価値を自分で判断するという考え方です。
健全な劣等感という記事でも書きましたが、他者からの評価、他者との比較ではなく、自分の中での評価に変えることで、他者からの承認に頼らなくても心が安定した状態を作り続けることができますよ。
他者を敵として見なすと、やはりあまりいいことはない様ですね。
そして、対人関係の悩みの解決の答えは、やはり自分の中にありそうですね。
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