これまでのBlog記事で、劣等コンプレックスと優越コンプレックスについてお伝えしてきました。
劣等コンプレックスとは、他者との比較において自分が劣っていると感じることでした。
一方優越コンプレックスとは、他者を貶めて相対的に自分を上におき、他者よりも優れていると感じることでした。
しかし、この様な劣等コンプレックスや優越コンプレックスを持ったまま人生を歩んでいくことは、非常に苦しいことです。
なぜなら、本来しっかりと向き合わなくてはならない人生の課題に対して、自分は劣っているからと言い訳をして逃げたり、他者を貶めてまで無理をして自分をよく見せようとする姿勢はいつか破綻し、疲れ果て、やがて前に進むこと自体をやめてしまい、成長が停滞するばかりか、努力することすらやめてしまうからです。
健全な劣等感と優越性の追求
アドラーは
「劣等感とは、自分が理想とする姿と現実とのギャップである」
と言いました。
そして、人はその理想とのギャップを埋めるために建設的な努力をし、前に進まなくてはならないと言いました。
また、アドラーは優越性の追求について、
「今よりも優れた存在になりたいと日々望むことは、人間の普遍的欲求である」
と説明し、健全な劣等感と同様に、努力と成長の刺激になると言っています。
それでは、健全な優越性の追求を実践するにはどうすればいいのでしょうか?
健全な優越性の追求の実践
優越性の追求とは、今よりも優れた存在になりたいという人間の普遍的な欲求であると言いました。
しかし、厳しい競争社会を生きている私たちは
「今の自分より少しでも優れた存在になりたいと言う欲求」
という本来の意味を取り違えて、時として優越性の追求を
「他者よりも優れていようとすること」
と誤って解釈をする傾向があります。
他者に勝つか負けるかの競争は精神的にも非常の負荷のかかる状況です。
アドラーの唱える優越性の追求とは、
- 競争する相手は、他者ではなく自分である
- 自分にとっての「マイナス」から「プラス」に向けて努力すること
- 自分がただ前を向いて、一歩一歩進むこと
と述べています。
他者に追い越されようが、他者を追い越そうが、そのことは関係なく、ただ自分が前に向かって前進することを優越性の追求と述べています。
自分の理想と現実のギャップを健全な劣等感で受け止め、他者に影響されることなく一歩でも前を目指して進むと言う健全な優越性の追求が、人生に好循環を生み出す秘訣の様です。
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